T-ALLを「知って治す」ブログ

T-ALLを「知って治す」

自身の病気「T細胞性急性リンパ性白血病」を調べ、理解し、治療と正面から向き合うことを目的とします。

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はじめまして!

このブログは、

  • 知人への近況報告
  • ALL患者及びその周囲の方々への治療経過の情報提供
    • 特にALL-T11に基づく治療の対象者に向けて

を目的として運営しています。

白血病ってどんな病気? | 移植って何?手術するの?

ごく簡単な説明記事を作りましたのでぜひ読んでみてください。

c7t1012-med.hatenadiary.jp

わからないことはコメント欄で質問をいただければ、わかる範囲で答えます。Twitterからでも大丈夫です。

今までの治療経過は?

治療の区切りごとに、まとめを作っています。

治療前

先行治療相

寛解導入療法

早期強化療法

強化療法 (HR3)

強化療法 (HR2)

強化療法 (HR1)

現在の治療は?

週報の最新記事をご覧ください。

今後の治療は?いつ治療終わるの?

治療見通しの最新記事をご覧ください。

闘病の区切りに寄せて 〜過去・今・これから〜

2021年4月22日の外来。「今日で抗がん剤は全部終わりです。長かったね」と主治医に言われ、闘病者としての自分に、大きな区切りがつきました。

がんになったと聞くとショックを受けるのが常でしょう。でも、僕は全く違っていました。白血病だとわかったその日から、病の自分をごく自然に受け入れました。「何で自分が?」と思ったことも一度もありません。受け入れたというより、わざわざ受け入れるまでもない事実でした。したがって、特に動揺することもありませんでした。そういう態度は、周囲に「落ち着いている」とか「強い」と言われる場合が大半でした。が、決して褒められるようなものではなかったと思います。

当時は、自分を俯瞰するように生きていました。俯瞰するというのは、自分の感覚や情熱よりも、状況に重きを置くということです。つまり、「何をしたい」ではなく「何ができる」「何をやるべき」と考えて自己を制御することです。多くの大人がそうしているように。シンプルに事実に目を向ければ、何事も受け入れるのは簡単でした。

発がんは、解釈を加えなければ、ただの確率的な結果に過ぎませんでした。白血病は特定の原因もないとされています。自分で制御できる部分もなかったわけだから、すべては運だと捉えました。だから、親友に入院当初、「がんになりました、ハズレくじだね」とLINEを送りました。彼はのちに「あまりに軽い表現に驚いた」と言っていましたが、自分としては等身大の感想でした。驚かれることが驚きでした。

命についても、俯瞰すれば同様でした。生きていることは当たり前であり、ゆえに、死に向かうことも当たり前でした。運命を変えられるとも、変えたいとも思っていませんでした。ただ、生きることには真面目でありたい、という思いがありました。せっかく生を受けたのだから、もう少し生きてみたかった。僕は「生きたい」のではなく、「生きるためにできることをやる」ために闘病に向かいました。

これは今思えば、生きている自分から遠ざかることによって、楽をしようとする態度でした。宿題を後回しにする子どものように、自分の人生を後回しにして、本質的な問いを考えないようにしていたに過ぎません。病や老いや死をまだ知らぬ、多くの若者がそうしているように、生を消費していました。もっとも、がんになっても彼らと同じように思っていたのですから、僕は相当に思慮不足でした。

***

けれども、闘病を経て、どんなことよりも、「生きている」ということが嬉しかった瞬間がありました。これは驚くべき純粋な感情でした。なんの前提条件もなく、自分が今あるということに感動できたのです。それはいろんな場面で感じました。

病院の窓から見る青空。
退院時に病院の正面玄関をくぐる時。
あるいは、夜の病床でのふとした瞬間。

この感情はきっと、生そのものより、生を願う人たちに、僕は学んだのだと思います。

主治医はいつも明るくて、自信と勇気をもらいました。明るいだけでなく、非常に優秀な方で、複雑なプロトコルを正確にマネジメントしてくださいました。献身的に看護してくれた看護師さんたちとの間には、たくさんの深い思い出があります。

母は400キロも離れた実家から毎週のように来てくれました。父は多忙な日々を縫って買い出しのわがままに付き合ってくれました。名古屋からはるばる来てくれた大学の友達、バイト仲間。日常を感じさせてくれる瞬間が、励みになりました。

それぞれのやり方で生きようとする闘病仲間。彼らの無事を喜ぶとともに、逆に、自分の無事も誰かに喜ばれているということを知りました。それだけでなく、散った命もありました。しかし無念だとは思いません。彼らは生き切った、そう思いたいし、僕もいつか思われたいのです。真剣に生と向き合った、と。

***

そして、人生を俯瞰するのをやめました。生きているこの時間そのものに目を向けたくなりました。何をするか、何を残すかより前に、「生きる」という有り難さがあることを知りました。生がいかに脆く、儚く、ゆえにかけがえがないか。

あるいは、俯瞰する必要がなくなったとも言えます。幸いにも、「やるべきこと」と「やりたいこと」を結びつけることができました。僕は今、医用画像処理の研究をしています。次の春からは、血液疾患にも関わる医薬品の研究を行う予定です。

大学院の医療系教育プログラムの申請書にこう書きました。

自分の命が今あるのは,医師であり研究者でもある病院の先生方が効果的な治療法を編み出してきたからであり,それは決して偶然の産物ではなく,彼らの日々の研鑽によるものである.学びが人を救うということへの感謝と希望を胸に,闘病経験者ならではの強い目的意識を持って,学習や研究を進めていけると,確信している. 

「学びが人を救う」− それは事実です。たった50年前の医学では、僕はとっくにこの世にいられませんでした。僕は間違いなく、医学という学問に命を救われたのです。医学の進歩には、医師らの執念にも似た努力があったはずです。僕は医師にはならないけれど、生きるために何かしたいという思いは、共通して持っていたいと思います。それは本当に強力な感情で、きっと、力になると思うのです。

***

多分、もう闘病していた頃の気持ちとは違います。

「日常のありがたみは失わないとわからない」とよく言いますね。僕は、「失っている間しかわからない」のではないかと思います。戻ってきた自分には、もうわからないのです。

最初の一時退院で、普通の街並みが外国に見えたとき。
悩みに悩んで決めた唐揚げ定食の一口目。
「次は名古屋」の新幹線のアナウンス。

もうあの頃感じたような、日常への感動はありません。けれど、それもまたいいのかなと思います。だって、闘病者であった僕らは、僕らしか共有しない時の流れを、ある意味誇らしく思っていたようにも思うからです。想像では補えないのです。本当に何にも代え難い時間だったし、あの場所、あの時だからこそ得られた心地なのだと思います。

闘病が過去である今、すべては「治った(と思える)から言えること」かもしれません。今後どう思うかはわかりません。でも、いいのです。今、自分の人生を幸せだと思える、それが何よりも嬉しいのです。

2021年5月30日 C7

wk81-101 ラスト髄注

検査・治療

4週ごと診察
8週ごと髄注 ←2021/3/18で完遂!

治療経過

引き続き良好

4月で治療終わる予定

体調

良好

メソトレキセート飲む日(週1)はだるい

お知らせ

髄注が終わりました。全部で18回受けたと思います(早期強化 2, 強化 6, 再寛解 2, 維持 8)。髄注の辛いところは当日風呂に入れないことでした。コロナ禍では特に不安でした。

来月には飲み薬も含め、治療全体が終わります。104週間の長丁場(実際はもっとかかった)を乗り切れる人はそんなに多くないらしいです。主治医曰く、「骨髄が疲れて中断するケースが多い」とのことでした。丈夫な身体に恵まれてありがたい限りです。もっとも、白血病になる時点で、丈夫なのかわかりませんが。

2020年度が終わろうとしています。飛ぶように過ぎた1年でした。思えば、今年度の前半は入院も延べ何週間かありました。いま、急速に「ふつうの日常」に慣れていく自分がいます。

そんな中、ふと、感動する瞬間があります。今日の夕飯を考えているときとか、雲ひとつない青空を見たときとか。ちょっとした日常の一コマに、武者震いするような心地になることがあるのです。それは、「自由への感動」と言えると思います。

ただ、自由の持つ責任も忘れてはいけません。なぜいま、自由なのか? − 決まっています。「治った(と信じられる)」からです。その背景にはたくさんの人がいました。治してくれた医療者、治ると願ってくれた仲間。治療法は、治らなかった人たちの例も踏まえ、確立されてきました。

まだコロナ禍は終わっていません。僕の免疫は治療終了後もしばらく低く、ワクチンは受けても意味がないそうです。「生きる」という至上命題を忘れてはいけないと、再び、肝に銘じます。

治療と食事制限 〜生ものってダメなの?〜

抗がん剤と食事

抗がん剤を投与することにより免疫が落ちます。白血病の治療においては、白血球を集中的に叩く必要があるため、その影響が顕著です。

したがって多くの患者が衛生管理に気を配ることになります。クリーンルームで過ごし、手洗いや歯磨きの回数を増やすなど。

そういった衛生面での注意は、食べるものに関しても例外ではありません。入院中は「抗がん剤治療中の食事について」という冊子が渡され、その中には「プロセスチーズはOKだが非加熱のチーズはNG」「生クリームを含む菓子はNG」「パンは個包装ならOK」など、細かなルールが書かれていました。当然、生ものについては禁止とされていました。

エビデンスはあるのか?

しかしながら、このような食事制限の有効性については、懐疑的な見方もあります。

pubmed.ncbi.nlm.nih.gov

これは、白血病患者の食事内容と治療への影響について調査した研究の論文です。

Abstract(要旨)だけ和訳してみました。


目的

好中球減少時の食事療法は、急性骨髄性白血病(AML)の患者の感染を防ぐためによく用いられる。この食事療法は潜在的に不便をもたらすものだが、その効果は定かではない。

患者と方法

HEPAフィルタを用いたクリーンルーム (クリーン環境) にて寛解導入療法を受ける急性骨髄性白血病(AML)の新患153名を、無作為に「生の野菜と果物を含む食事療法」と「生の野菜と果物を含まない食事療法」に割り当てた。患者の早期死亡リスクをもとに階層化を行った。 すべての患者が抗生物質と抗菌剤による予防措置を受けており、クリーン環境下から抜けるまで継続して本研究の対象であった。主な関心は主要な感染 (肺炎、菌血症、真菌血症) と 及び死亡との相関である。

結果

78人の患者を「加熱食品群」に、75人を「生食品群」に割り当てた。2つの群は年齢、早期死亡確率、化学療法歴、リスク下にあった日数に関して類似していた。「加熱食品群」の29%、「生食品群」の35%が主要な感染を起こした。感染を起こすまでの期間と生存期間は2つの群に関して類似していた。要因不明の発熱は「加熱食品群」の51%、「生食品群」の36%で起きた。

結論

クリーン環境下で治療を受ける患者に対して、好中球減少時の食事療法が主要な感染や死亡を防止することはなかった。


ここでいう「生食品群」というのは、記載があるように「生の野菜と果物を含む食べ物」のことで、魚や卵を生食するという状況ではないということには注意が必要ですが、「ナマを避ける行為が感染予防になるとは言えない」という結論は、大いに参考になります。

がん治療を専門とする武蔵小杉病院 腫瘍内科では、WebページのFAQでこの論文の存在に触れ、以下のように書いています。

Q) 抗がん剤治療中は生ものは食べてはいけないのでしょうか。

A) 抗がん剤治療中でも、生ものを食べることができます。食欲が落ちた時に、果物や生野菜ならば食べられるという患者さんは多くいらっしゃいます。心配な場合は、主治医に相談して下さい。 生もの(生野菜、果物、刺身)には細菌がついていることが多いので、免疫力が落ちる抗がん剤治療中は避けましょうという理論で禁止しているのだと思いますが、実はあまり明確な根拠はありません。少なくとも、乳がん卵巣がんなどの多くの固形がん(白血病などの血液悪性腫瘍を除いたがんのこと)の抗がん剤治療では、白血球減少の期間は短く、免疫低下の程度は強くありません。  抗がん剤治療中に、生ものを摂ってよいかどうか、という研究はいくつかありますが、2008年にJounal of Clinical Oncologyに報告されたものが最も有名です(Gardner A, et al.J Clin Oncol. 2008; 26(35):5684-5688)。急性白血病で導入化学療法(抗がん剤治療)を受ける患者153名を、生もの(新鮮な野菜・果物)摂取を禁止する群と、生ものを可にする群とランダムに分け、感染症発症率を比較しましたが、感染症発症率には有意差はありませんでした。白血病の強い抗がん剤治療を行う患者さんでこのような結果が得られているのですから、固形がんの患者さんはそれほど心配しなくてもよいと思います。 ただし、生肉は昨今の食中毒発生状況を考えると避けた方がよさそうです。生魚・生卵も、鮮度の高いものにした方がいいでしょう。特に夏場は足が早い(腐りやすい)ので注意が必要です。お肉を切った包丁やまな板で、生で食べる野菜や果物を切る場合は、包丁やまな板を十分殺菌・消毒するようにつとめます。

このQ&Aの記載にもあるように、食品の種類よりも、衛生管理の方が有意差を生むのではないかと思います。いくら加熱殺菌したとしても、その後、菌を付着させては意味がないわけです。黄ばんだエプロンの定食屋が作るフライ定食よりも、綺麗なスーパーで買った鮮度の良い刺身の方が衛生的だと考えるのは、自然ではないでしょうか?まして、スーパーのような食品業界の衛生管理において、日本が諸外国に劣るとは思えません。

食い違う判断

一時退院中に僕はお寿司を食べまくっていました。主治医が許可してくれたからです。方や、別の先生が主治医の患者は、一様に生食を厳しく禁じられていました。彼らは「寿司屋に子どもが行きたがって連れて行っても、自分は玉子や天ぷらしか食べられないのが辛い」と嘆いていました。

抗がん剤投与中は、食欲が湧かないのに加えて、買い出しも自由に行けなくなります。クリーン病棟の中にいねばならないからです。そんな時期を抜けて、一時退院中に食べた大好きなお寿司は、格別の味がしました。そうして、「こんなに外は幸せがある、またやれる、治そう」と思わせてくれたのです。食べることは人生に活力を与えてくれます。

生ものを禁止することで、果たしてローリスクになるのでしょうか。もっと研究が進んで、統一的な判断基準が得られることを願います。もちろん、「食べてもオッケー」というほうで!

wk66-80 完遂できるか…?

検査・治療

4週ごとの診察
8週おき(すなわち診察2回につき1回)髄注

9/3 [wk77] マルク

治療経過

9/3のマルクは感度未満 - つまり、がん細胞検出されず

引き続き良好

体調

基本的には良好

  • 9月後半から、吐気が気になる日が少し増えてきた
    • 食事は摂れているけど少食気味
    • 「痩せたね」と知り合いに言われた

お知らせ

身の回りがいろいろ忙しくて、2ヶ月ぶりの更新になってしまいました。と言っても、特に書くこともないくらい、順調に治療は進んでいます。新型コロナに怯えまくっていた気持ちも落ち着いて(功罪両面あると思いますが…)、平和に過ごしています。

もっぱらの悩みは人生設計ですね。もう24ですから。しかし考える中で、「10年先は」と躊躇なく口にできない自分がいることにも気づきます。「限りなく治ったに近い」のと「治った」のは、やっぱり違うのです。それはきっとこの先もしばらく変わらない感覚だと思います。

それでも。「中途半端に過去や未来を考えるから絶望する。今を夢中で生きてればそんなこと考える暇はない」と書いてあったのは何の本だったか思い出せないのですが、その言葉がずっと頭の中にあります。過去のもたらす負の側面ばかり見たり、ふわふわした未来の可能性を足りない頭で考えて、今を無駄にしないように。いつか必ず終わる自分の人生を、少しでも納得のいくように、作っていきたいです。

wk65 NEL④ 本当の最終入院

検査・治療

マルクなし

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アラノンジー(=ネララビン)は末梢ルートから投与

治療経過

引き続き良好

体調

  • 睡眠:やっぱ投与後は眠くて2時間くらい昼寝してた
  • 頭痛:なし
  • 吐気:Lv.0〜1 ほぼなし
  • 食事:普通
  • 味覚:正常
  • 便通:正常
  • 発熱:なし

雑記

  • 入院前にPCR検査(唾液)があった
    • 唾出すために入院5日前に現地入り
    • 検査後はホテルで過ごした(親族の家でもいいと言われたが止めた)
  • 新型コロナによる制限は少しだけ緩和

    • 人の少ない時間帯ならコンビニへの買い出し等は短時間ならOK(許可制)
    • 面会全面禁止、部屋の外や会話時のマスク着用義務は継続
  • 入院直後は個室で、しばらく様子見て発熱などないことを確認してから大部屋に移すようにしているらしい

お知らせ

血液内科は長期入院の患者が多いですが、経過が順調にも関わらず1年半も入院する患者はそんなに多くはいません。それだけ長いプロトコール(治療計画)でした。プロトコール自体はまだ終わっていませんが、最終入院ということで、病棟とはお別れです。

退院時、看護師さんらスタッフに囲まれて写真撮りました。幸せでした。退院時にシフトに入ってなかった看護師さんの中には、わざわざ前日とかに挨拶しに来てくれた人もいました。

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ここで過ごした日々を除いて自分を語ることはきっと今後もできません。それほどに思い出の詰まった場所です。

ガラスの二重扉の向こう側の世界には、そこだけに流れる独特の時間がありました。寂しいと思うのは、その時間が好きだったからです。でも、きちんとお別れしてきたつもりです。ここから去ることが住人の幸せなのです。スタンプで隠れて見えませんが、写真の笑顔が証明しています。

だから、これから、外の広い世界で生きていきます。

ありがとう。本当にお世話になりました。

維持療法 wk58-64 退院中③

5/12-7/7

検査・治療

注射

6/11 髄注

内服

朝:ダイフェン, フルコナゾール, ネキシウム, ビクロックス

眠前:ロイケリン

毎週水曜朝は上記に加えてメソトレキセート12錠

治療経過

6/11の外来

  • 特に問題なし。WBC 2000くらい
  • 肝機能も正常に
  • レジメン通り治療継続

体調

  • 睡眠:ここ1ヶ月、尋常じゃなく寝付きが悪くて辛い(2時くらいまで眠れない)。でも病気とは関係なさそう
  • 頭痛:寝過ぎて眠いようなのはある
  • 吐気:概ねLv.1以下で推移してたが、入院前の週(wk64)は結構ひどくて食欲沸かなかった
  • 食事:普通に食べている
  • 味覚:正常
  • 便通:正常
  • 発熱:なし

  • その他

    • お腹がまたちょっとプニョってきた

雑記

  • 前回退院後、ベランダでオクラを育て始めた
    • 唯一の共同生活者
    • 毎日様子見てかわいがってる
    • 最近花が咲いた

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オクラの花

  • 大学への登校は引き続き最小限

    • こんなとこで感染してたまるか!
    • 自宅の作業環境が整ってきてむしろ研究室よりリッチに
      • 4KディスプレイとかノートPCのスタンドとか買った
  • でもずっと家にいればOKかというとそうでもない

    • ときどき気分がずーんとして何にもやりたくなくなる
    • 寝付きが悪いのも、家にばかりいて運動不足なのが大きいのでは?

お知らせ

最終入院の中、これを書いています。2年前の10月からずっと、「次の入院がある生活」を送ってきたので、なんだか不思議な気分です。まさに「新しい生活様式」に移行するような。

大きな節目という実感はあります。いかなる未練も残さぬように、最後の入院の時間も、大切に過ごしたいです。楽しい思い出と学びだけ持って帰れるように。

維持療法 wk57 NEL③ 新型コロナ厳重警戒態勢

検査・治療

5/13〜17 NEL
マルクなし

アラノンジー(=ネララビン)は末梢ルートから投与

治療経過

引き続き良好
WBCは2000台

体調

  • 睡眠:投与後数時間すると眠くなる. 毎日2〜3時間昼寝してたが夜も普通に寝られた
  • 頭痛:なし
  • 吐気:Lv.0〜1 ほぼなし
  • 食事:普通
  • 味覚:正常
  • 便通:正常
  • 発熱:なし

雑記

  • 前回よりさらに新型コロナによる制限が厳しく

    • 引き続き面会は全面禁止
    • 郵便局やコンビニ等を含め、原則として病棟外から出るのは禁止. 必要時はスタッフが代行
    • スタッフとの会話時や部屋の外では患者側もマスク着用義務化
  • 患者どうしの交流など夢物語になってしまった

    • 食堂に30分以下しか居られないのでみんなわざわざ来ない
      • そのためにアルコールタオルで机椅子拭くの面倒だし
      • そもそも食堂なのに飲食禁止になってるし
  • 個室に優先的に入れてるみたい(差額なし)

    • 快適だけど、個室代を払ってた身としては何とも言えない気分

  • それでも、一人暮らしで誰とも直接喋らない1ヶ月だったので、看護師さんらと話せたのはよかった

お知らせ

いよいよ次回がラスト入院の予定です。なんかドキドキですね。